役に立つ徒然日記

最近急に昔話を書き出した「役に立つ徒然日記」! もはや役に立つかは不明です。しかし、英検1級合格してからTOIECの話の話も書き始めましたのでそれは役に立つかも。結構真面目に書いてます。

↑共感されたり、気に入ったら押していただけると、更新のペースが上がります!

親父が死んだ日

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題名を読んで、なんだなんだ!と思って読んでいただいている皆さん、申し訳ありません。もう何年も前の思い出話です。考えて見るとこの世に家族を亡くすことよりも悲しいことはないだろうと思います。ふと思い出したので書いておこうと思います。 

*** 

何年もずっと実家に帰れず親不孝を続けていた。だがその年は急に都合がついて実家に帰ることができたのだった。家に着き、母親が出してくれたお茶を呑みながら雑談をしているうちに、いつのまにか日が落ちてあたりが暗くなっていた。 

しばらくすると玄関の方から親父が帰ってきた音がした。俺が戻ってくることを知っていたようで茶の間に少し顔をだし、俺の方を見て「おお、来てたか。ちょっと遠出したせいか疲れてな。また明日色々聞かせてくれ。」となんだか小さな声で言うと、風呂にも入らずに寝室に向かっていった。いつも飄々とした笑顔の親父なのだが、その時はなんだか随分疲れた顔をしていた。どうも様子が気になり「大丈夫か」と聞くと、「なんだか昨日からずっと背中が痛くてな。寝たら直ると思うけどな。」と言ったのだった。 

そして翌朝、朝飯の時間になったが、いつも朝早いはずの親父がなかなか起きてこないので、俺は遠くから「朝ごはんだよ!」と声をかけた。すると、寝室の方から「ああ」という声が聞こえた。それから俺はしばらく待っていたが、なかなか出てくる様子がない。そこで、久しぶりで早く話がしたかった俺は部屋に行って見た。 

部屋に入ると、ベッドの下の床の上で横になっている親父の姿が目に入った。普通に横になって寝ているのではなく体が硬直したような様子で、一目で大変な事態だと分かった。着替えている途中で倒れたようだった。俺は親父に駆け寄り話し掛けたが返事がなかった。呼吸も脈も確認できなかった。俺は階下の母に救急車を呼ぶように叫んだ。 

俺は人工呼吸と心臓マッサージの方法を知っていたので、母から受け取った電話の向こうの救急隊員かオペレータの方に症状を説明して、「到着まで人工呼吸と心臓マッサージを続けるので早く来て欲しい」と伝えた。そして電話を切ると人工呼吸を再開したのだが、呼吸の度に肺の中から水の流れるような異音がするのに気がついた(後で考えると肺の中に流れ込んだ血液の音だったのだと思う)。俺は無我夢中で救急車がくるまで人工呼吸と心臓マッサージを続けた。その間、俺は病院につけばなんとかなるだろうとずっと考え「親父、大丈夫だからな。親父、大丈夫だからな。」と心の中で繰り返していた。 

救急車が到着してAEDを試みてくれたが効果がなくそのまま病院へ搬送となった。そこからのことは断片的にしか覚えていないのだが、最終的に病院の先生方が救命のため尽力して下さったのだが、残念ながら親父は還らぬ人となったのである。 

俺は家に帰ってきて顔に白い布を掛けて横になっている親父の傍らに座り涙が止まらなかった。俺は親父が好きだった。相談したいこともまだまだ沢山あった。でも何も伝えることができないまま、親父は俺の前から去っていってしまったのだった。俺は自分を冷たい人間だと思っていたが、いくら泣いても涙が枯れないのが不思議だった。 

人間とは何と無力なものだろうと思った。身近な一人の人間さえ助けることができないのである。また、「昨夜の不調を聞いた時に病院に連れていったらどうなっていただろうか」、「生半可な蘇生法などが裏目に出たようなことがなかったのか」など、答えの出ないことを何度も何度も考えた。何の根拠もなく、病院に着けばなんとかなると考えていながら何も出来なかった自分の愚かさも恨めしかった。 

しかしそれから、喪主として葬儀の準備をしながら忙しく過ごし、また葬儀で親父を慕ってくれていた大勢の人々と会い、生前の親父を称える優しい言葉を掛けられて俺は救われた。大切な人を失った直後に普通の生活をして一人で黙って何かを考え続けていたら耐えられないだろうと思う。 

準備や段取りが細かい葬儀という行事を終えて感じたのは、残された人が色々な負の思いに囚われないために、このような忙しい儀式になっているのかもしれないという事だった。葬儀とその準備では、色々な人に連絡を取り、また色々な細かいルールに沿って事を運ばなければならない。そんな作業で忙殺されることによって、悲しさを紛らわせることができるようになっているのだと感じたのである。俺自身その忙しさのおかげで一時的に悔しさや悲しさ、様々な思いを紛らわすことができた。 

*** 

家族を失うのはつらいものである。年老いた家族を亡くしても、これだけ後悔するのだ。世の中には自分より若い家族を亡くされる方もいる。さぞや無念だと思う。ましてや前途のある若い家族であれば尚更のことである。もしその場に居合わせたら、助けられなかった自分を責めてしまうと思う。また、一緒に生活していたのならば、何かの方法で今のめぐり合わせを避けることができる方法がなかったのかなどと考えてしまうと思う。今この瞬間にもどこかでそのような思いを抱いている方がいるだろう事を想像すると胸が締め付けられる思いがする。でも決してそのように考えないで欲しいと思う。 

私も心の整理がつくまでは少し時間がかかったが、その後はずっと親父も私の心の中にいて、相談相手になってくれている。 

残されたものは、去っていった家族と分かち合った時間を胸に刻みながら、自分の人生を恥じないものにするために生き続けるしかないのだろうと今は思う。 

それがきっと私にできる唯一のことなのだ。




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香港の歩き方(後編)

この話の前編を読みたいかたはクリック!

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さて、買い物を済ませた頃には、いつの間にか日が暮れて対岸の香港島のネオンが光り始めていた。俺は閉園前の九龍公園を少し散歩した後、尖沙咀 (チムサーチョイ)の繁華街で飯を食うことにした。

手ごろな広東料理のレストランがあったので入ると店員さんが席に案内してくれた。みやぞんをモヒカンにしたような兄さんである。しかしモヒカンの高さがはんぱない。20センチはありそうである。

なぜ広東料理店にモヒカンなのか。俺はあたりを見回したが、他の店員さんは結構常識的中国系おじちゃんなのである。もしかして名物男的キャラなのであろうか。しかしこのアメリカンな髪型からして、英語は期待できるのではないだろうか。

みやぞん(仮名)は俺を地元客と思ったようだった。何故なら俺がメニューを指差し英語で話しはじめたら、一瞬「ん?」という顔をしたのである。みやぞんもあまり英語は得意ではなさそうだった。しかし、みやぞんは広東語に英語を交えながら一生懸命答えてくれた。

すると奥の方からそのやり取りを見ていた一人のウエイターが、「はいはい、ボクの出番のようですね」という感じでゆっくりとテーブルに近づいてきたのだが、それを感じた男みやぞんは右手をピシャリと下げて「おまえ、こなくていいかんね」というサインを送ったのだった。

多分、地元客と外人客担当のような感じで役割担当が決まっているのだろうが、みやぞんは「ここは俺が頑張る」と思ってくれたのだろう。

みやぞんは根気良く、一生懸命身振り手振りで説明してくれた。おお、こういう人もいるのか。俺は心を打たれた。

俺は彼が話し終わったようなので、注意深く彼の眼を見ながら、海老油炒め的料理と野菜的料理を指差し、最後に青島ビール(チンタオビール=青島啤酒)を頼んだ。この青島ビールという単語が俺とみやぞんの間で初めて通じた言葉だった。

「アンド、チンタオビア!」と俺が最後に言うと
「オーケー、チンタオビア!」とみやぞんが答えたのである。

俺とみやぞんの心が触れ合った瞬間である。そしてみやぞんはホスピタリティあふれる男のようで、俺の選んだ海老料理の写真を指差し少し険しい顔をして何か言いながら首を横に振った後に、別の海老料理を指差して満面の笑みを浮かべて何かを言ったのである。

わかりやすい。これはわかりやすい。いかに鈍い俺でもこれはわかる。どう考えても「こっちの方が美味しい」ということだろう。俺は後者を指差し、「オーケー、オーケー」と言ったのだった。みやぞんの返事も「オーケー、オーケー」である。髪型の違う男達の心に国境を越えたラポール(心の架け橋)がさらに築かれた瞬間である。

そして最後にみやぞんは、メニューの「白飯」という文字を指して俺の目を見て、少し心配そうで悲しそうな表情を浮かべた。

もう、皆まで言うな。俺の頭の中にはみやぞんの「ご飯を頼み忘れてない?」という声が響いていた。俺はその気遣いが嬉しく、それならばと「炒飯」の文字を指差した。みやぞんは「オーケ、オーケ、オーケーーー!」と言いながらメニューを小脇に抱えて奥に消えていった。頼もしい後ろ姿だった。

そして、出てきた料理はと言えば、みんな美味かった!

俺は通りがかったみやぞんに、親指を立てて見せた。みやぞんも、俺に親指を立てて見せた。もはや俺達は、トップガンで見た、戦闘機のパイロットと機体誘導員くらい心が通いあっていた。

俺は出された料理を平らげるとみやぞんに礼を言い店を後にした。みやぞんは笑顔で俺を見送ってくれた。

街はまだまだ賑やかだったが少し涼しくなっていた。人ごみの中を歩きながら「しかし、食ったなあ」と呟いたところで俺はチップを渡し忘れたことにハタと気がついた。

(あー、失敗したなあ...)

俺は、帰る前にもう一度その店に行き次は二回分のチップを渡そうと心に誓いながら、尖沙咀の地下鉄駅に続くエスカレータに乗った。




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香港の歩き方(前編)

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久しぶりに香港に行って来た。今回の日記、某書のような題名になっているが、実は歩き方の話など一切ないので読まれる方はご注意願いたい。しかもまたこれが無駄に長い!お急ぎの方は是非ご用を済ませてからお読み頂きたい。

***

実は生まれて初めて訪れた外国が香港である。格安航空券での旅行の乗り継ぎ地だったので、思い切って香港に何泊かすることにしたのだった。いわゆる返還前の香港なので20年以上前と言うことになる。

もちろん北京語も広東語も話せない俺は不安だった。手持ちの武器はNHKラジオで覚えたばかりの片言英語と素敵な笑顔だけである。しかし、さすが香港、行って見ると観光地や空港だけでなく道端の新聞売りのおじいちゃんにまで英語が通じたのである。飯を食ったり、バスに乗ったり、フェリーに乗ったり、調子に乗ったりで夜の街に出たりもしたが、とにかく俺の片言英語でなんとか不自由なく過ごせたのである。ま、多分知らないうちにぼったくられたりもしていたのであろうが、そこはまあ、あれである。

その後、働くようになってから、私用でも仕事でも幾度か香港を訪問したが、気がつくと最後の訪問はもう10年以上前の事となり、それからずっと訪問する機会がなかったのである。そしてその間に「香港は意外に英語が通じない」という話を色んなところで耳にしていた。そして、今回の訪問では、それをとても強く実感してしまったのである。

***

久しぶりの香港だった。亜熱帯に位置する香港では、「冷房が一番のサービス」と考えられているところがあり建物の中や地下街はこれでもかというくらい冷やされている。空港や地下鉄も例外ではない。しかしその快適さも九龍(Kowloon)駅に着くまでだった。駅から外に出たとたんムッとした熱気に包まれ、その湿気で一瞬にして眼鏡が白く曇った。そしてしばらくすると全身から汗が噴き出してきた。久しぶりの香港だったが街並みはそれほど変わっていない。俺は以前香港に来ていた頃と同じ調子で何日か過ごした。

そして、週末がやってきた。週末は特に人に会わず一人で過ごす予定でいた。

俺は早起きして、近くの食堂に朝粥を食いに行って見た。地元の皆が行く店と言うだけあって、ザ・ローカルという感じの飾りっ気のない石で出来た様な佇まいである。俺は出された水を飲みながら、何かお勧めがあるか聞いて見たが、そこの店番の若い女の子は全く英語が通じないようだった。しかし、英語はまだ公用語のはずである。

(俺のしゃべり方が悪いんだろうな)と思って「ホワット・ドゥー・ユー・リコメンド?」とゆーっくり言って見た。もちろん顔は素敵な笑顔である。

しかし女の子は漢字がびっしり書かれたメニューを俺に渡し何か言うだけである。俺は素敵な笑顔の保持で精一杯である。結局俺は「粥」という字だけを手がかりに、適当なヤツを指差し注文して朝飯にありついたのだった。しかし評判の店だけあって、鳥の出汁の効いた薄味のお粥は美味しかった。俺は金を払いながらまたちょっと英語で話しかけて見たが、返ってきたのは広東語(たぶん)だった。

(そうか、こういうとこ英語あんまり通じないわけか)


その後は、日本で良く休日にしているようにカフェでちょっと勉強でもして見ようと思いマックに行って見た。香港マックは日本よりずっと IT化していた。

店に入ると大きなタッチスクリーンを設置したATMみたいなブースがずらっと並んでいる。そこで画面をタッチして欲しいものを注文したら、あとはカウンターに呼ばれるのを待つというシステムなのである。実に近代的と言えよう。最近、日本のファミレスや居酒屋にもあるタッチパネル注文方式。あれの親玉みたいなヤツである。

俺はそれを見て、「香港の街は、さっきのお粥屋さんからこんな電子バーガーまでが違和感なく共存していて、東京なんかよりよっぽどブレードランナー的だよなあ」などと一人しみじみと感じたのである。

マックの中も一言で言うと寒かった。冷房効きすぎである。そして店の中を飛び交う広東語は実にうるさい。普通に話をしているのだろうが喧嘩をしているようである。

俺は、どうせ誰もわかんないだろうから、「うっせーなあ」と言って見た。でも万が一の事を考えて、顔は素敵な笑顔である。しかし俺の小さな声など直ぐに広東怒号の中にかき消されていた。

日本から持ってきた耳栓をしても、音はゼロにはならなかったが、意味のわからない雑音の中での勉強は意外にはかどった。俺は体が冷え切る前にマックを後にした。



その後、我が心の師である李小龍(ブルース・リー)の銅像を見に行ったり、友人の土産にタイガーバームを買ったりして、休日らしい気分転換になった。しかし、ドラッグストアの女の店員さんにタイガーバームがあるかと聞いても、これまた全く通じなかったのである。

「タイガーバーム、ユーノー? オイントメント、オイントメント!」と俺が言うと、なんか「いやだー、変なこと言って」みたいな顔で笑うのである。どんなエッチな言葉に聞こえているのだろうか。

結局、最終的に俺が、缶をパカッと開ける真似をして、人差し指をつっこみそれを顔に塗るジェスチャーをして「ガオー」と言ったら、やっと彼女は頭上に電球が現れたような表情をして、俺を売り場に引っ張って行ってくれたのだった。売り場に並んだ箱には TIGER BALM と書いてあったが皆中国語の製品名で呼んでいるようだった。

(うーん、街のど真ん中の店でもこんなもんか。こりゃ結構不便だな。)

しかし、俺がビジターなので文句は言えない。次回はもう少し準備して基本的な用が足せるくらいの言葉はちゃんと調べてから来ようと思ったのである。



後編へつづく

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昨日の敵は今日の友(後編)

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ここまでの話 → http://amphibia.seesaa.net/article/451754327.html

- 後編 -

やつはスーツケースをゴロゴロと引きながら、誰でも知っている日本の会社の名前を挙げた。それが転職先だと言う。確かに堅い企業だが意外だった。そいつが今いる外資の会社よりはまず待遇が落ちるだろう。俺は後でゆっくり話を聞くことにした。夜は長いのだ。

店につくと三代目Jマリオブラザーズという感じのポッチャリ伊達男のウェイターが俺たちを窓際の眺めの良いテーブルに案内してくれた。「ごゆっくりどうぞ」と腰に布を巻いたマリオは言った。

やつは「いいお店ですね」と言った。
それを聞いた俺は「やっと実現しましたね」と言ったのだった。

実は昔に海外でばったり会った時に「今晩予定がなければ飲みましょう」などと待ち合わせ場所まで決めたのに、その夜お互い仕事が入り流れてしまったことがあったのだ。「じゃまたいつか」などと言いながらそれからもう何年も経っていた。

やつは「今日はたくさん飲む気で来ました」と言った。俺も「よーし、そうしましょう」と答えながら、暑かったので上着を脱いで腕まくりをした。やつはそれをどうとったのか、「うわ、お手柔らかに。でも今日は私も負けませんよ」と言って笑った。金曜日だし、都内のホテルに泊まりなので時間無制限デスマッチで飲めるという。

そこは何を食べても美味しい店なのだった。いちいち料理を頼むのも面倒なのでコースを頼み、ビールは省略してワインから飲み始めた。

これまではお互いの立場もあり、「言っちゃいけないこと」や「言わない方が良いこと」にフィルターをかけながら話をしていたが、もうその必要もないと思うと気が楽だった。

俺が新しい会社で何をするのか聞くと、やつは「実は日本人として日本のものを海外に売り込む仕事がずっとしたかった」のだという。

「今は行きがかり上、海外の製品を日本で販売する仕事をしているが、既に出来上がった仕組みの中で役割が決まっていて、続けていてもこの先それほど大きな変化がないように感じた」のだと言う。

そして、「年齢的にも人生のこの時期にやっていることが今後の自分の柱になるだろうから、今がやりたい仕事にシフトする最後のチャンスだと思った」というようなことを言うのである。

「そこで色々探して見たところ、目の前の待遇は落ちるが長い目で自分の成長を見据えて今回の選択肢をとった、海外営業部に配属されることになっておりヨーロッパのある国を担当する」という。

それを聞きながら同年代の頃の自分と比べていた俺の頭の中では、「なんつー、しっかりした30歳なのねーん」という感じの台詞がエコーがかかって鳴り響いていた。しかしいくらフィルターをかけずにしゃべると言ってもそれをそのまま口にするのはさすがにあれである。

俺は少し眼を細めて「それに気づけるかどうかなんだよね...」と低い声で言ったのだった。え、いんちき? そこは大目に見て頂きたい。しかし実際行き当たりばったりで生きてきた俺は非常に感心したのである。

やつはそのうち自分のことを話し始めた。生まれ故郷の瀬戸内の街のこと。片親に育てられたこと。海外で過ごした頃のこと。戻って来て入った会社のこと。前の会社での経験。

俺はやつには似たような匂いを感じていた。俺も、俺がこれまでやってきた事を一通り話した。やつと同じく港町で育ったこと。海外に出て知り合った友達の影響を受けて働きながら学校に行ったこと。いまならもう笑える仕事の失敗談。やつは身を乗り出して聞いてくれた。

やつはもう結婚して子供もいるのだと言った。父親を知らずに育ったので早く家族を作りたかったのだという。子供に対して、自分にもし父親がいたらして欲しかったことを端からしてしまうので、奥さんにはいつも甘やかしすぎだと怒られているといって笑った。子供の写真も見せてもらったが可愛い女の子だった。

途中からはグラッパ(40°くらいか?)に切り替え急速に酔いが回ってきたが話は尽きなかった。同じようなことをしてきているので年代は違っても同窓生と話をしているような感じで打てば響く。

海外での生活の話や、各国民の気質、糊口を凌ぐための怪しいアルバイトの話など、そうそう、あったあった、それそれ、という感じで盛り上がる。そのうちに女性に騙された時の話など、話題もだんだん際どくなり夜は更けていった。

もう終電の時間は過ぎていた。やつはホテルに戻るだけなので場所を変えて飲みなおすことにした。酔い覚ましに外に出ると大きな月がでていた。そこからはもう二人とも出来上がっていてここには書けない領域の話もしたような気がするが記憶の遠い彼方である。そして二軒目の話は諸事情により割愛させていただき、あっと言う間に三軒目である。騒がしい店だった。

俺はそこで、「これからは、競合でも業界の先輩でもないので、対等な友人として付き合って行きましょう」とやつに言った。やつは聞こえたのか聞こえなかったのか何も答えずに俺の顔を見ると微笑んだ。

こんなに遅くまで飲んだのは久しぶりだった。俺たちは一緒にタクシーに乗り、やつのホテルに向かった。車はホテルについた。俺はやつに体に気をつけるように伝え握手をして別れた。クルマの中で振り向くとやつはホテルの前に立ってまだこちらを見ていた。

タクシーは首都高に乗った。もうこの時間になるとガラガラである。高速に乗ったとたん運転手は何に挑戦しているのかと思うくらい飛ばし始めた。俺は酔っていたので「まあ、いいか」と思い、窓の外のネオンを眺めながらやつと話したことを思い出していた。

ブーン、ブーン

携帯電話を見るとヤツからのメッセージが届いていた。

3:40 [今日はすっかりごちそうになってしまい申し訳ありませんでした。本当に楽しい時間をすごすことができました!]
3:55 [遅くまで付き合わせてすいませんでした。こちらこそ楽しい時間をすごさせてもらいありがとうございました。今後のご活躍を心からお祈りしています。それから、今後は対等の友人として付き合ってもらえればと思いますので宜しくお願いします]

俺はさっき聞こえていなかったようだったメッセージをもう一度そこに書いた。しばらくするとやつから返事が返ってきた。

4:10 [そう言っていただき本当に嬉しかったのですが、しばらく揉まれてきます。もう少し大きくなってからお目にかかりますので、その時にまたそう思って頂ければその時はお願いします。今度は私がごちそうしますから(笑)。お体にお気をつけて]

俺は、「わかりました。楽しみにしています。おやすみなさい」と打ち込み送信ボタンを押すとシートによりかかった。そしてふと思い立ち、携帯の「連絡先」のやつのアドレスを開いて「会社名」を消した。

いつのまにかタクシーはもう高速の出口に近づいてスピードを落としていた。
外に目をやると、空がうっすらと明るくなり始めていた。



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昨日の敵は今日の友(前編)

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初夏のある日のことである。いわゆる商売がたき、同業他社、もっといえばライバル会社のある男からメールが来た。

「一身上の都合ですが、自分の可能性を試したく退社することになりました。いままで大変お世話になりました」などという事が書いてある。

お世話なんかしたつもりはないが、そうか、辞めるのか。あいつは年の頃なら30歳前後。もしも俺がものすごーく若い時に子供を作っているとすれば、もしかしたら息子ということもあるかも知れない年齢である。見た目は今時の若者っぽいところもあるが、爽やかで礼儀正しく、いつの間にかなんとなく顔を合わせれば話をするようになっていた。

「そうか...」俺はキーボードの上の手を止めてそいつと初めて話した時の事を思い出していた。

それまであまり国内で顔を合わせたことはなかったと思うが、何度か海外の出張先ですれ違いなんとなく顔だけは見覚えがあった。国際学会やその併設展示会などで見かけていたのだろう。やはり同国人なので海外の集まりで何度かすれ違うと印象に残るものだ。

そんなある日の事である。今でも良く覚えているが、俺がどこかの国の何かの懇親会のような場で異国人と立ち話をしている時に、そいつは遠慮がちに自己紹介しながら話に加わってきたのである。

その時に、まず「いいね!」と思った点が二点。

(1)若いのに、ライバル会社のおじちゃん(俺)に積極的に話かけてきた点
(2)俺が異国人と話をしている最中だったので、日本語ではなく英語で話かけてきた点

これがおじちゃんの心の琴線に触れたのだった。特に(2)に関してである。

こういう場面で「ちょっと宜しいでしょうか」などと言いながら日本語で話かけてくる人もいる。時にはもう最初から名刺を出して日本風挨拶で迫って来る人なんかもたまにいる。そうするとそれまで立ち話していた相手は「お、仕事の話かな、邪魔しちゃ悪いな、ていうか俺日本語わかんないし」と思うのであろう、気を使って "Well, I might go grab something. Nice talking with you." なんていいながら別の方に行っちゃたりするのである。「あらら、せっかく盛り上がってきたとこだったのになあ」なんて思っちゃう瞬間である(盛り上がっていると言っても大体くだらない話題なのだが)。

もちろん、日本人同士なので日本語で話しかける方が自然と言えば自然な訳で、それをとやかく言うつもりはさらさらないのである。しかしその時、若いあいつが、一応俺と話をしている異国人に気を使って英語で話に交わろうとしてきたところに「おっ、見所あるな!」と感じたのである。

そしてしばらくは三人で英語で話をしていた訳であるが、その後、その異国人が飲み物を取りに行って、我々二人になったところで遠慮がちに日本語で話し始めたのである。礼儀正しいちゃんとした日本語である。そして、なんかちょっとした緊張感も伝わってくるのである。初対面のライバル会社のおじちゃんと話をしているからだろう、「私、ちょっと気張ってます」と言うのが伝わってくるのである。

俺は、そいつが一生懸命話す姿を正面からまじまじと眺めてみた。

まず俺よりウェストが細い。そして顔が小さい。そして俺より背が高い。目鼻立ちがはっきりしている。俺より肌に張りがある。そして俺より毛が多い。そんな感じである。上等である。

でも、俺も負けていない。俺の方が顔が光って輝いている。俺の方が体全体に均等にアブラがのっており体の曲線が美しい。俺の方が毛穴がはっきりしている。俺の方が頬骨が高く、指も太い。まあ勝負は五分五分と言えよう。とにかく負けてはいない。

それはともかく、その日は当たり触りのない業界話で終わったように思うがその日をきっかけに色々と話をするようになったのだ。

そして、ある時どこかで顔を合わせた時のことである。「自社で出す予定の新製品を、ある人に是非見てもらい意見を聞きたいのだが実はツテがないので、どうしたらいいか考えている」というような事を何故か俺に話すのである。俺は(おいおい、俺、競合の人間だぞ)と思う一方で、何とも素直なやつだなと改めて思ったのだった。

その「ある人」というのは、言わば業界の美輪明宏的な重鎮なのだが、俺は知り合いだったので後日紹介してあげたのだった。その時、そいつにはとても感謝されたのである。

俺は元来そんなに親切なタイプではないのだが、何故競合他社の男にそんな重要なキーマンを紹介したのか! その理由は単純である。そんな小細工なしの直球を投げられたのは久しぶりで新鮮だったのである。

俺は、そいつの会社の人間は何人か知っていたが総じて波長が合わなかった。しかし、ある日突然現れた若いそいつはなんか結構可愛かったのである。やつは初めて会った時から謙虚で真っ直ぐだった。某テニス解説者のような火傷しそうな熱さではないが、じんわりとした熱さが伝わってくるようだった。

***

それはさておき、転職するとなると放って置く訳にはいくまい。俺は早速電話をして見た。聞いてみると思うところあって別業界に転職するのだという。となるとあまり会う機会もなくなるだろう。

俺は「ずっといつか飯を食いに行こうといいながら遅くなってしまって申し訳ないが、時間があればどうか」と誘って見た。やつは「喜んで」と二つ返事で応えてくれた。退職の日まで挨拶回りや引継ぎがびっしりと詰まっているようだったがお互い都合の良い日程を調整した。

***

そして約束の日になった。夕方にブーンブーンと震える携帯を見ると、そいつのメッセージが届いていた。

18:49 [結構早く用事がかたづきました。もしご都合が良ければ早くうかがうことも可能です]

俺は返事を返した。

18:52 [おお、良かったですね。私も出ようと思えばでられます。今、どこですか?]
18:53 [もう、京橋にいます。でもこの辺りはあまりわからないのですが大きな時計のあるビルが見えます]
18:55 [ああ、判りました。その時計のビルでお茶でも飲んでいて下さい。直ぐに仕事を片付けて向かいますので]
18:55 [了解しました。お待ちしてます]

俺は何本か電話の用事を済ませると、上着を着てそのビルに向かった。

19:20 [今、向かってます。多分5分くらいでそちらに着きます。どこの店にいますか?]
19:21 [それではビルの前に出てお待ちしています]

店の名前を教えてくれればそこに行くのに。今日もやつは礼儀正しかった。

ビルが見えてきた。やがてビルの前に立っているやつの姿が見えた。俺がビルの前に近づいて行くと、やつはスーツケース(機内持ち込みサイズの車輪のついたあれ)を持っているのにそれをゴロゴロと引きずりながら事もあろうに俺に向かって走ってきたのである。そこで待ってりゃいいのに。

なんだか、その姿を見て俺も嬉しくなって、いい年をして走りだしそうになったが、そこは「おじちゃん」である。グッと堪えたのだが、それでも幾分早足になってしまった。

ヤツは俺の目の前まで来ると「忙しいところ申し訳ありません!」と礼儀正しく頭を下げて、いつもの青竹の匂いがしてくるような爽やかな笑顔を俺に向けた。

何が食いたいか聞くと、腹に手を当てて「実は時間がなくて昼抜いたので、なんでも美味しく食えます。しかも飲む気満々です。」と模範回答が返ってきた。そうこなくてはいけない。俺はすぐ近くに良く行くイタリア居酒屋みたいな店があるのでそこに行こうと誘った。

店に向かって並んで歩きながら、「このたび可能性を試したく退社することとなりましたって?」とちょっと冗談ぽく話を振って見た。

するとやつは少し恥ずかしそうに目を伏せてから、ふいにこちらに顔を向け「そうなんです」となんだか嬉しそうな声で言った。



後編につづく http://amphibia.seesaa.net/article/451919560.html



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失敗クールビズ

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早いものでもう5月。このところ「まさかもう梅雨入りか?」と思わせるような雨の日が続いたが、汗っかきなので、そういう蒸し暑い日はとても苦手である。

そもそも我々現代人が着ているこの洋服という代物自体、この湿度の高い日本の風土に適していないなあと思う。かつて日本人は、袖口や胸元から風がスパスパ入る着物で暮らしていた訳だが、またそんな時代が来ないものかなどと本気で思ってしまうのである。

ただ幸いなことに、最近ではクールビズがすっかり定着してきた。この季節になると既にノータイの人間の方が多数派だ。私ももちろんその一人である。しかしこの日本社会では、初めての訪問や正式な場など、まだまだネクタイをした方が良い場面も多々あり、かく言う私も何かの時のために常にネクタイを一本カバンに忍ばせておくようにしているのである。

***

その日も朝から日差しが強かった。しかし、かといってカラッとした天気でもなく蒸し暑い一日になりそうだった。

地下鉄の駅から出て会社への道を歩く頃にはすっかり気温も上がり、俺は太陽を見上げながら「こんなに暑くなるなら黒いスーツは失敗だったな」などと考えていた。

俺はすっかり熱を帯びたその黒い上着を脱ぎ片手に持つと、肩に引っ掛けて歩いた。額からは汗が落ちてくる。そう、刑事ドラマの聴き込みシーンのあの感じである。ふと平泉成を思い出し、かすれ声で「いやー、あついですな」と言って見たら、意外に大きな声になってしまったようで、横を歩くOLがちらっとこちらを見ると足早に逃げていった。


会社に着くと、同じ部の若手が電話をしながらしきりにお辞儀をしている姿が見えた。ひとしきり謝った後で電話を切るとガックリと肩を落としている。聞くと、大きな手配ミスをしてしまい取引先に詫びていたという。そいつは人懐っこいが、隙も多く、若い頃の出川哲郎のようないじられキャラである。いつもニコニコと明るいのがとりえなのだが、今日の哲ちゃん(仮名)は柄にもなく思いつめた顔をしていた。

ざっと事情を聞いた俺が、「同行するから、早く謝りに行っておいた方がいいな。」と言うと、小鹿のような濡れた目ですがるように俺を見ると、「いいっすか」と言ったのだった。

そう言うが早いか、哲ちゃんは早速先方に電話をかけて、直ぐにお詫びに伺いたいとアポを取っていた。その間、哲ちゃんはまた誰もいない壁に向かって何度もお辞儀をしていた。


外は一段と暑くなっていた。先方のビルの近くに来たがまだ時間があるのでコーヒーショップに入って涼んだが、汗が引く頃には約束の時間が近づいて来た。哲ちゃんもあわてて残りのアイスコーヒーをズルズルと音を立てて飲み始めた。

クールビズがいくら普及したとは言えどもやはりお詫びで訪問するにはノータイという訳には行かない。しかし心配ない。俺のカバンの中のネクタイはこんな時のためにあるのだ。俺は哲ちゃんに、ネクタイを締めてくると告げると、カバンのポケットを開けて中を覗いた。しかしその瞬間どうもいやな感じがした。カバンに入れっぱなしだったネクタイは、なんと言うか薄い銀色的なネクタイだったのである。

俺はその嫌な予感がするまま化粧室に行きそのネクタイを締め、鏡に映る自分の姿を見た。黒いスーツに銀のネクタイである。いやな予感の通りである。やはりどう見ても、おめでたい場に招かれた男という感じにしか見えないのである。もしこの姿に題名をつけるなら、「新郎叔父」と言う感じだろう。なんならビールでも注ぎたくなる感じさえある。とうていお詫びに来た男という感じがしないのである。「反省の色」という言葉があるが、それは少なくとも黒と銀色ではないのだなあと思った。

俺は化粧室からでると、哲ちゃんに「このネクタイで大丈夫かな」と聞いてみた。やつは「正式な感じがして良いと思います」と答えた。あまり質問の意味にピンと来ていないようである。

俺はもっと判りやすいように、「でも、なんかちょっと、おめでたい感じしない?」と聞いてみた。

するとやつは何か勘違いしたのか、急に暗い顔に戻り、「いえ、おめでたいのは僕ですよ...あの時、一本確認の電話を入れていれば....」などと一人また反省モードに入っていったのである。

もう構っている暇はない。アポの時間は迫っていた。

「じゃ、そろそろ行こう。」

俺達は先方のビルに向かいエレベータに乗った。

***

しかし結局、我々が来るまでに大きな問題は解決していたようで、先方の話しっぷりは意外に和やかだったのである。少し面食らったが、俺はほっとした。哲っちゃんの顔からも安堵の色が見て取れた。先方と今後のリカバリーの話をした後は、当たり障りのない世間話をして今回の謝罪訪問は無事終わったのだった。


ビルを出ると、小雨が降ったようで道路が濡れていた。外に出たとたん温かく湿った空気が体にまとわりついた。

俺が「たまんないなあ!」と言いながらネクタイを緩め、そのままシャツの襟からスルスルっと引き抜くと、いつもの調子に戻った哲っちゃんの「ほんとっすね」と言う明るい声が聞こえた。





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男前証明写真

shoumei.jpg

俺は取引先での打ち合わせを終えて最寄の地下鉄の駅に向って歩いていた。地下街に降り改札に近づいたところで「どこかで飯でも食って行くかな」と思い、あたりを見回すと、大きな文字で「証明写真」と書いてある機械がふと目に留まった。
(そうか、そう言えばパスポートが来月切れるんだったな...)

時間もあるのでその証明写真ボックスでパスポート用の写真を撮って行くことにした。改札の近くなのでその写真ボックスの周りには待ち合わせをしているような人が何人かいたが、幸い中で写真を撮っている人はいないようだった。

俺は写真ボックスの中に入りカバンを足元に置きコートを脱ぐとカーテンをビシッと閉めた。密室ではあるが、カーテンは腰くらいの高さまでなので、足の横は空いており、外を行きかう人の足が見える。

俺はボックスの中で椅子に座りながら、やや腰を浮かせてその椅子を右手でクルクルっと回して鏡に映る自分の目の高さを合わせた。この辺は慣れたものである。俺の目は鏡の中の基準線にピタリと合った。完璧である。

鏡の中の顔が少し疲れているように見えたので、俺は少し笑って見た。パスポートの写真とは、むこう10年間付き合わなければならないので、できれば少しでも良い顔で撮りたいと思うのが人情である。まあ、こんなもんだろう。仕事中なので服装もまあ堅目である。

「よしっ!」

俺は財布から千円札を取り出すと紙幣挿入口と書いてあるスリットに入れた。野口英世の顔が音もなくスルスルっと機械に吸い込まれて行く。

「よしっ!」

いちいちうるさいがお許し頂きたい。

直ぐに目の前の画面に「メニュー」と言う大きな文字と一緒に、色々な撮影コースが表示された。確か次の様な感じだったと思う。

・ハイクォリティ・モード(背景変更可)
・標準コース
・美白コース(レベル別)
・素肌コース(レベル別)
・男前コース(レベル別)

(なるほど、証明写真の画像加工も細分化された訳だな.....しかし、随分細かいな.....)

プリクラ世代なら抵抗がないのだろうが、我々はどちらかというとキャバクラ世代である。こんなに選択肢を出されても困るのである。

最近のプリクラ写真には、驚くような加工がされてまるでCGかアニメのような顔になっていたり、実際の三割増しぐらいで足が長くなっているものがあるのは知っていた。

(でもこれは一応は証明写真なのだから、まさかそれほど驚くような加工をされることはないのだろうな....)

俺はそう考え、じゃ折角ならばと、画面の「男前コース」のボタンを選んで押して見た。



するとである。突然スピーカーから女性の大きな声で、
「男前コース!.....ですね?」
というセリフが大音量で鳴り響いたのである。完全にこのボックスの外にいる人にも聞こえるボリュームである。

(うわー、なんでそんな大きな声で、そんな恥ずかしいコース名を!)
と俺が思うと同時に、写真ボックスの前にいる誰かが「ぷぷぷっ、男前コース!」と言ったのが聞こえた。

たまにレストランに、大の男が注文するのが恥ずかしいような名前のメニューがある。例えば、「ミッフィーちゃんのケーキセット」みたいなヤツである。恥ずかしいので声を出さずにメニューの写真を指して「これ」と頼むのだが、たまに周りの人に聞こえるような声で復唱するウェートレスさんがいる。

「では、ご注文を復唱します。」
「え!?」
「ミッフィーちゃんのケーキセットをおひとつ、お飲み物はミルクティーで宜しかったでしょうか。」
「は、はい...(←声、ちっちゃい)」

今回の写真ボックスも正にそんな感じである。そこ復唱しなくてもいいのに。

しかし判っている。気にすることはないのだ。外のクスクス笑いは、この写真ボックスのコース名「男前コース」という名称に向けられたものであり、決して俺に向けられたものではないのである。いいのだ。気にしない、気にしない。俺は画面の「はい」のボタンを押した。

すると次に、「レベルを選んで下さい」という文字と共に「+1」、「+2」、「+3」というボタンが画面に現れた。

俺はちょっといやな予感がしたが、「+3」のボタンを押した。

するとである。また、機械の中のお姉さんがとてつもなく大きな声で、
「男前レベル、3段階アップ!.....ですね?」
と言ったのである。

写真ボックスの外からは「うそー! ぷぷぷっ」という声が聞こえる。

今度は微妙である。これは、なんか恥ずかしい。小さな個室の中でこっそりと男前レベルをアップをしようとしているのがバレてしまった感じがする。鏡の中の俺の顔は男前レベルよりも、赤味レベルがアップしているようだった。

しかし、こうなると乗りかかった船である。もう後へは引けない。
(もう、余計なこと言うなよ....)
俺は心の中で思いながら、「はい」のボタンを押した。

幸いお姉さんは無言だった。

***

その後は普通の撮影の段取りだった。そこからお姉さんは俺を辱める系のよけいなセリフは言わずに、「目の高さを確認して下さい」や「撮影は二回行われます」、「準備が出来たらボタンを押してください」などの写真屋さん的な説明に終始したのであった。

その後、何回かフラッシュが光って撮影は終わった。そして画面には何枚かの写真が表示された。複数の撮影画像だけでなく、「男前加工の度合い」もここで再度選べるようだった。

俺はおそるおそる、画面の中で一番写りが良さそうな一枚を選んで指を触れた。お姉さんは無言だった。

もうこうなったらいっその事、「確かにそれが一番男前.....ですね?」くらい言ってくれれば面白いのだが、さすがにそのような事はなかった。しばらくするとお姉さんは最後に事務的な口調で「写真は外側の窓に出ます、機械の外でお待ち下さい」とだけ言うとそれきり何も言わなかった。



全ての工程が終わったようだった。俺はいそいそとコートを着ていざ外に出ようと思ったのだが、どうもなんだか写真ボックスの外に出にくいのである。
「男前レベル3段階不正アップ現行犯」
そんな言葉が頭をよぎる。

なんとなく不正の現場を押さえられたような後ろめたい気持ちがして、ボックスの外の人と顔を合わせたくないのである。しかし外に出ない訳にもいかないので恐る恐る外に出た。

自意識過剰すぎた様である。もう外に人はいなかった。俺はコートのポケットに手を入れたまま、やや期待しながら男前証明写真の出来上がりを待った。

数分すると機械の横の窓からゆっくり写真が出てきて、「コトン」と音を立てて受け口に落ちた。取り出して見ると、それほど男前ではないいつもの俺が微妙な半笑いをしていた。

俺は「ま、そりゃそうだよな...」と呟くと、地上へ続く階段を上った。



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華麗なる加齢臭

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先日だれかがどこかに、「婚活パーティに行って話の合う人がいたが、匂いがダメだった」と書いているのを見かけた。やはり匂いが気になると生理的に無理ということらしい。でも、そんなことを言いながらも「匂い」という漢字を使っていたところに、その方の優しさを感じたのである。ご存知の通り「におい」を漢字にする時には「臭い」という選択肢もある。しかし、こっちを使っちゃうと、完全に「もうだめ感」が出てしまうと思うのである。なんなら、こっちの漢字の方は「くさい」とも読む訳だし。

そんな、「ニオイ」! 自分では中々気がつかないものの一つなので、身につまされる話でもある。

***

「加齢臭」という言葉を初めて聞いたのはいつ頃だろうか。「老人のカレー臭」などとテレビで言っているのを聞いて最初は「なんで高齢者からそんなスパイシーな香りが!?」などと思ったのを覚えているが、そのうちにこの言葉も市民権を得て、いつしか皆が普通に使うようになった。ちなみにこの加齢臭、高齢になると増えるノネナールという物質が主要因とのことである。

***

ある日、混んだ電車の中でつり皮につかまってスマホの画面でニュースを見ていた時の事である。どうも右後方から誰かにのぞかれている感じがするのである。と言うのも、右の後ろの方からの空気の流れに乗って、す〜っと加齢臭が漂ってきたのである。

俺はその姿勢のまま、頭の中で(おいおい、おじちゃん。あんたもこの記事興味があるのかい? 気持ちは判るけど自分のスマホで見てくれよな...)と思いながら、しばらくは気がつかないフリをしてその画面を見ていた。しかし、その気配はなかなか消えなかった。かといって、急に振り返って「キッ!」などと睨むのも大人気ないと思い、しばらくしてからゆっくりとさりげなくニオイの方向を振り返った。

しかし、そこにはもう誰もいなかったのである。俺は(まあ、いいか)と思い、またニュースを読み始めた。

だが、しばらくするとまたそのニオイはやってきた。俺はちょっとイラッときてスマホの角度を変えたりしたが、気配は変わらない。しかも今度は更に至近距離からのぞいている気配濃厚である。(おいおい、お客さん....)俺は、もう遠慮する必要もないだろうと思い、いきなりガバッと振り向いた!


しかしである! やはりそこには誰もいないのである。もう、電車は空き始めていた。俺は一人で首をかしげた。しかしいくら見回してもそれらしきオジサンの姿はない。

その時、俺の頭に大胆な仮説が閃いた。
「も、もしや、俺自身のニオイなのでは!?」

俺は、周りの乗客に不審に思われないように気をつけながら頭をゆっくりと右に回し、右の肩口に鼻を当てて大きく息を吸ってみた。

そこにはまぎれもなく先ほどまで嗅いでいたあの嗅ぎ覚えのあるニオイが息づいていた。なんということだろうか。俺はいつからこれほどの芳醇なアロマを発するようになっていたのか。

俺は自分の発したニオイから幻の敵を生み出して戦っていたのである。ショックだった。初めてマイケル・ジャクソンのムーン・ウォークを見た時くらいショックだった。

俺はその日一日できるだけ女子社員から距離を置いて過ごすと、帰り道にこっそりとコンビニで薬用ミューズを買ったのだった。

店を出ると、塀の上の猫が俺を見てつまらなそうに大きなアクビをするのが見えた。



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長崎に住む謎の叔母

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子供の頃、良く同じ夢を見た。


「長崎に住む親戚の叔母を一人で電車で訪ねる」という夢である。しかしその頃の私にとって長崎は縁もゆかりもない土地だった。まして親戚がいるなどと聞いたこともなく、なぜ見も知らぬその街の夢を繰り返し見るのか子供心に不思議に思っていた。


私の生まれ故郷は日本海に面した街で、小学生の私にとって九州といえば坂本竜馬の生まれ故郷というようなイメージしかなく(それすらも見事に間違っている訳だが)、まして長崎というのは社会科の教科書でしか見聞きしたことのない遠い街だった。


「長崎」という言葉の響き自体、エリマキトカゲのような服を着たザビエルのような外国人が住む異国を私に連想させ、同じ時代に存在する人々が生活する身近な街を想像することができなかった。


しかし夢の中に出てくる長崎はいつも鮮明で具体的だった。毎回、私は母親に「長崎の○○○叔母さんに渡してね」と言われて何かとても大きな包みを持たされ、心細い気持ちで電車に揺られて長崎に向かうのだが、いつも長崎駅に着く頃に初めてその叔母の家の住所も電話番号も知らないことに気が着くのだった。


そして、二階建ての平たい建屋の駅に着いた私は改札を出て、不安な気持ちに包まれたまま駅前の町を見回し、一度だけ行ったことのある叔母の家への道順を一生懸命思い出そうとするのである。


駅の周りの様子はいつも同じだった。ゆるく傾斜のついた広い道路の上に路面電車用の撓んだケーブルが張られ、その下を時折、色の濃い電車が行き来していた。そして駅の周りには背の低い灰色っぽいくすんだ色の同じような建物が立ち並んでいた。


毎回夢の中でそんな風に駅前で途方にくれて叔母の家への道順の手がかりになるものを探すせいか、朝寝床で夢から覚めてからも、大通りの向こうの雑貨店など駅前の様子が鮮明に頭に残っているのだった。


夢なのだから少しは変化があっても良さそうなものだが、毎回同じ名前の叔母さんを尋ねて同じ景色の同じ街に行くという寸分変わらぬ夢なのである。そして最後は少し心細い気持ちで街を見回し、意を決してある一本の路地に入り歩き始めるあたりで夢は終わるのだった。


そのため、結局その叔母さんの顔を見ることはなく、もちろんその大きな包みも渡せずじまいだった。「もしも、長崎に行って駅前の町並みが夢と同じだったら面白いだろうな」などと思ったりもしたが、そのような機会も訪れないまま、いつしか私も子供ではなくなりその夢を見ることはなくなったのだった。


その後、大人になり夢のことはずっと忘れていたのだが、数十年経った後に生まれて初めて仕事で長崎の街を訪れることになった時に、ふとその夢のことを思い出した。私は空港から長崎駅に向かうバスに揺られながら、もしかしたら駅前の町並みが、などと少し胸騒ぎを感じながら駅前に降り立ったのだった。しかし目の前に広がる景色はあの夢になんとなく似ているような気がするものの、時を経て整然と近代的な建物が立ち並ぶその景色を昔の記憶と重ね合わせるのは難しかった。


叔母の家に向かって歩いた路地に似た細い道もあり、少し歩いて見ようかなどという気持ちも心をかすめたが、時計を見ると約束の時間が迫っていた。私は、あの夢が何かの暗示だったのならば、きっと放っておいてもいつか何か起こるだろうなどと考えながら、気持ちを現実に戻し待ち合わせの場所に向かったのだった。


その後も何度か長崎に行く機会があり、段々と現実の長崎の印象が強くなったせいか、夢の中でいつも見ていた景色も少しずつぼやけた記憶になってきた。


今となってはあの夢がどのような意味を持っていたのか確かめる術もない。しかし、何かのはずみにあの夢を思い出す時に、いつかあの叔母と同じ名前の女性が現れて何かの謎が解けるのだろうかなどという思いに囚われるのである。


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酒と泪と男の全裸

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皆さん、お元気でお過ごしのことと思います。私はこのところ連日の酒宴のせいでなんとなくぼんやりした日曜日を過ごしております。ホントこのところメッキリ弱くなったなあと感じているんです。

酒とは恐ろしいものです。今朝も目を覚まして、「昨日は楽しかったなあ」などと漠然と思っていたのですが、よーく考えると最後のお店でのことをほとんど覚えていないのに気がついたんです。

これ、急速に不安になりますね。うーん、と思い財布の中を見るとタクシーのレシートが入っている。「そうか最後タクシーに乗ったんだよなあ」と思い、そこから記憶を遡っていくのですが、頭の中に浮かぶのは放送終了後のザーッという画面だけなんです。


記憶がない = あらゆる事をしてしまったと言う無限の可能性がある


ネットで、「目が覚めるとなぜか全裸で留置所にいました」 なんて冗談でつぶやこうと思ったのですが、その時にふと頭をよぎったのは「まてよ、俺まさか本当に脱いでないよな???」ということなんです。まさかと思うが思い出せないんです。「脱がないまでも、それに準ずることをしてないと言い切れるか?俺」、もしやってたら、それを読んだ人の反応はきっと微妙なものになりますよね。もう、こう考え始めるとどんどん自信がなくなっていくんです。

最後のお店での会話の途中で、自分がメロメロの話し方になってきているのに自分でも気がついて「こりゃ飲みすぎたなあ」などと思ったところまでは何となく覚えているのです。ホントなんです。でもその辺が最後の記憶なんです。

嗚呼、思い出せない! でも、そこまで酷いことはしてないだろうと必死で自分に言い聞かせている日曜の午後なんです。

*以上、今日は何故かちょっとエロい告白調になってしまったんです。

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ひとこと

2016年の冬は暖かい日が多かったですね。もうすぐ春です!